第9回 「アメとムチ」のしつけは正しい?

2013年11月13日

 

「アメとムチ」のしつけは正しい?:子どもを怒鳴ることによる悪影響

 

<警視庁の児童相談所への通告件数で「心理的虐待」が半数を超える>

2013年9月13日配信の「NHKニュース」によると、今年上半期に全国の警察が摘発した児童虐待の事件は、合計221件にのぼったということでした。この数字は過去2番目に多く、被害を受けた子どもの11人が死亡したそうです。
警視庁が摘発した虐待の内訳は、「身体的虐待」が157件と最も多く、続いて「性的虐待」が49件、親から脅されたり暴言を浴びせられたりして心に傷を受 ける「心理的虐待」が8件だったそうです。また、警察は、事件として扱わない場合でも虐待の疑いがあれば児童相談所に通告しているといい、この半年間に通告された子どもは1万61人であり、去年の同時期より40%近く増え、過去最多だったということでした。
虐待といえば、児童虐待の上位を占める 「身体的虐待」をイメージすることが多いようですが、今回、私が注目したのは、警視庁が児童相談所に通告した中では、心に傷を受ける「心理的虐待」が半数余りを占めていたということです。「心理的虐待」は、加害者側にとっては、「虐待をしている」という自覚がない場合も多いために、エスカレートしやすい傾 向があります。むしろ、「しつけの一環」として肯定されることすらあります。また、特に被害者が子どもの場合、「これは虐待である」という認識を持ちにくく、表面化しないことが多いのです。
この「心理的虐待」は、故意ではない状況において、多くの場面で起こる可能性があるということから、特に注意が必要だと感じています。この「心理的虐待」がいかに悪影響をもたらすかという実験結果を紹介する記事を、同時期に目にしましたので、以下にご紹介したいと思います。

 

<子どもへの「罵声」と「体罰」の悪影響は同じ>

2013年9月9日配信の「ウォール・ストリート・ジャーナル」に、「子どもを怒鳴ればたたくのと同じ悪影響」というタイトルで、米国の大学の研 究者による研究を紹介する記事がありました。思春期の子どもが悪いことをしたとして、親から怒鳴られると、「抑うつ症状」や「攻撃的な行動」のリスクが上 昇し、たたかれた時と同じ問題が生じる可能性があるというのです。記事で紹介されたのは、9月4日に「チャイルド・デベロップメント」誌のウェブサイトで 発表されたピッツバーグ大学とミシガン大学の研究者が行なった研究です。
両親と13歳ないし14歳の子どものいる家庭976世帯を調査したその研究では、子どもには、さまざまな質問をし、「問題ある行動」、「抑うつ症状」、「親との親密度」を判断しました。親には、「戒めとしてひどい言葉を発しているかどうか」を調べる質問をしました。
子どもが13歳だった時、母親の45%、父親の42%が、前年に子どもにひどい言葉を浴びせていました。13歳の時に親から特にひどい言葉を受けた子どもは、翌年、「同年代の子どもとのケンカ」、「学校でのトラブル」、「親へのうそ」、「抑うつの兆候」といった問題が増える度合いが高かったそうです。
また、「親が戒めとしてひどい言葉を使った時」と、「たたくなどの体罰を与えた時」とでは、問題が増加する度合いは似ていたそうです。つまり、「口論を除く親子の親密度が高くても、ひどい言葉による悪影響は変わらない」ということでした。その結果、親がひどい言葉による戒めをさらに増やすことにつながり、 悪循環がエスカレートしていくことも指摘されていました。
私たち子どものいる親は、「子どもが親と温かく良好な関係を築いてさえいれば、罵声で 叱責することだってかまわない」とか、「親子の親密度が高ければ、一時の衝動で罵ってしまうことがあっても、普段からの信頼関係によってカバーできる」な どと思いがちです。しかしながら、この研究結果は、親と子どもが良好な関係を築いていたとしても、10代の子どもが親から怒鳴られたり、罵られたり、「怠惰」だの「おろか」だのと侮辱された場合は、「怒鳴っても、子どもの問題行動を減らしたり直したりはできない」、「逆に悪化させる」というように、警笛を鳴らしているのです。
また、同記事は、この研究に参加していないニューヨーク大学ランゴーン・メディカル・センターの研究者の発言もあわせて紹 介していました。この研究者は、「批判的、懲罰的、侮辱的な言葉を大量に使わないこと」、「人は尊敬し称賛している人に言われたときのほうがずっと、自分の行動に責任を感じる。子どもをしかったり恥ずかしい目に合わせたりするようなことをすれば、親の持つ力が損なわれる」と強調しています。異なる研究者が同じような論を主張していることからも、この論には一定の説得力があるといえるでしょう。

 

<「アメとムチ」方式のしつけを考え直す>

この記事を読んで、私は行動心理学のある実験を思い出しました。「アメとムチ」に関連する実験です。
T字路の右側にクッキー(アメにあたるもの)を置き、左側に電気ショック(ムチにあたるもの)を置いて、マウスの行動を分析した実験がありました。マウスは、何度かの行動で、クッキーが右側にあることを認識して、右側に進むようになります。その後、左側の電気ショックを非常に強いものに変えます。間違って左側に向かったマウスは、その強い電気ショックの衝撃で、動くことすらしなくなり、クッキーのある右側に行く行動さえも取らなくなったそうです。つまり、マウスは、強い電気ショックを再び受けることを恐れて、右側にクッキーを取りに行くことさえもせず、完全に無気力になってしまったということでした。さらに、その後、この強い電気ショックを受けたマウスたちを調べると、ストレス性胃潰瘍を発症しているマウスもいたということでした。
一方で、電気ショックを与えずに、クッキーばかり与えていた場合、マウスはそのうちクッキーという報酬に飽きてしまって、クッキーを取りに行くという行動意欲さえもわかなくなるということが、この実験によって示されていました。

 

<バランスの取れた対応が理想的>

このマウスの実験結果などによって、現在では、「アメとムチ」によるしつけや指導法に疑問が呈されるようになってきています。また、両極端な対応、つまり、「ムチ」ばかりでも、「アメ」ばかりでもいけないということもあわせて認識されるようになりました。
マウスの実験結果を、子どもに当てはめて考えてみると、厳しい「叱責や罵声(ムチ)」を与えれば、子どもは罵声を再び浴びることを恐れて、新たに何かにトライしたり、行動に出たりすることを断念することも考えられます。そして、子どもはやる気を失うだけではなく、強い罵声によるストレスを受けて、精神的に 不安定になってしまうことも十分にあり得るのです。上述の10代の子どもたちを対象にした米国の研究結果も、「ムチ」による悪影響を示しています。
だからといって、子どもがよくない行動を取った時に、全く注意もせずに放任して、「よいことを褒めちぎる(アメを与える)だけ」では、子どもにとっては、 何がいいことなのか悪いことなのかが分からなくなってしまいます。よくない行動を取った際には、適切に注意し(罵声という形のムチではなく、言い聞かせる 形できちんと簡潔に話す)、そして、よい行動を取れば、必ず褒めることを心掛けることができるようになりたいものです。つまり、対応方法が、どちらか極端であることは意味がなく、バランスが取れた対応が必要ということなのです。
これは、家庭で子どもに対してだけではなく、教育現場で教え子に対し ても、スポーツチームや体育会系部活で部員に対しても、会社などの組織で部下や後輩に対しても、共通する考え方であるといえるでしょう。「ムチ」の部分が あまりに強すぎて、厳しい罵声を浴びせたり、「巨人の星」の星一徹顔負けの熱血指導をしすぎたりすると、普段いくら親しみを込めて接したり、「君のことを 思ってるからこそ、厳しく叱っているんだ」と親身になっていることを伝えたりしてバランスを取っているつもりでも、やはりカバーすることは難しいのです。 結果、かえって教え子が学校嫌いになったり、退部者が続出したり、職場の部下がウツやストレス性胃潰瘍になったりすることも十分あり得る話なのです。(職 場の場合では、大人の被害者が、上司からの「心理的虐待」を「パワハラ」として訴えて問題解決を試みることができることもありますが、加害者・被害者とも に「心理的虐待」という認識をもちにくい家庭の中ではそういう解決方法は難しいです。)
もう少し踏み込んでいえば、「アメ」にあたる「賞賛の言葉」や「報酬」は、あくまでも「外的動機づけ」でしかありません。使い方を一歩間違えると、子どもは「アメ」ほしさのためだけに、行動することになってし まう可能性も出てくるので注意が必要です。しかしながら、なかなか行動に移すことができない子、何をやっても行動意欲がわかない子、自信を失っている子な どに対しての「目の前にある問題への対処療法」としては、この「外的動機づけ」(賞賛や報酬としての「アメ」)は効果を発揮します。特に「賞賛の言葉」 は、子どもの自信とやる気につながる大切なもので、子どもの「自己肯定感」を育みます。
こういった「賞賛の言葉」や「報酬」による「外的動機づけ」に付け加えて、さらに、子どもの「内的動機づけ(好奇心や関心によってもたらされる動機づけ)」が加われば、子どもの行動意欲をさらに高めることがで き、またその行動意欲も持続していくでしょう。この「内的動機づけ」については、今後の機会に一緒に考えていきたいと思います。

 

 香港日本人補習授業校スクールカウンセラー 合田美穂 (精神保健福祉士)

 

第8回 いじめの「周辺」について考える(下)

2012年11月22日

 

いじめの「周辺」について考える(下):いじめの「目撃者」になってしまったら

 

<前回の話の続き>

日本で、大津市の中学校で発生した深刻ないじめの問題がクローズアップされてから、数ヶ月が過ぎました。この問題を風化させてはいけないと、いじ め問題の解決に真摯に取り組む人たちが続出する一方で、「たまたま自分たちはいじめとは縁がなかった」ということもあってか、当事者から遠い場所では、そ の問題が風化されつつあるような空気が感じられることもあります。このたび、このいじめの問題を風化させないためにも、再度、この問題を取り上げることに しました。このたびは、「自覚のないいじめ」、いじめとは関係ないと思われがちである「目撃者」になってしまった場合についてのお話をさせていただきたい と思います。

 

<見過ごされてしまいがちな(自覚のない?)いじめ>

大津市の事件を発端とした一連のいじめ報道を受けて、これまで、多くの専門家、コメンテーターが、様々なコメントなどを述べていました。対応方 法、対策、被害者の心のケアなど、興味深いコメントが多く、参考になると感じるものも多いのですが、その中で、筆者がとても興味深く読んだのが、精神科医 である香山リカさんの「いじめは誰にでも起きる:香山リカのココロの万華鏡」(毎日新聞 7月24日配信) でした。そこには「見過ごされてしまういじめ」についての事例が書かれてありました。

香山リカさんによると「その(いじめの)渦中にあるときには自分の身に何が起きているのか、はっきりわからず、SOSの声も上げられない場合がある」そうです。香山さんも、実際に、診察室でも何度もそういう経験をしたそうです。
香 山さんの例では、実際に、学校で陰湿ないじめの被害に遭って、不登校気味で診察室を訪れた中学生は、当初はいじめを否定していたそうです。いじめの否定 は、「いじめられていると思われたくない」という心理状態からきていると考えられるそうです。また、子どもがいじめられていることを周囲に話した場合で あっても、周囲の大人が「まさか、うちに限っていじめだなんて」とスルーしてしまうケースもあるそうです。これらの事例からは、本人または周囲の「いじめ があるということを認めたくないという心理」が働いているということがわかります。

 

<心が逃げ場を失ってしまったら>

上の内容に付け加えて、次に、見落とされがちな「心身症状」についてお話したいと思います。いじめられていることを周囲に話さずじっといじめを我 慢する、いじめられていることを否定して状況に耐える(いじめを否定していることが意識的であっても無意識であっても)、いじめられているという事実より も「自分が悪いからこうなってしまった」と自分を責め続ける・・・・などといった場合は、心が逃げ場を失っている状態であるともいえます。
心が 逃げ場を失っている状態は、いろいろな状況の下で起こり得ます。それは、いじめに限ったことではありません。心が逃げ場を失っているような強いストレス状 態が長く続くと、それが「心身症状」になって現れることが多いといわれています。心の面では、不眠が続く、何事にも億劫になってしまう、うつ状態になって しまう、ひきもこりになってしまう、言葉を発することができなくなってしまう(緘黙)などの症状となって現れます。身体の面では、免疫力が低下して感染症 にかかりやすくなる、急性の消化性潰瘍(胃潰瘍や十二指腸潰瘍)になる、などの症状が出てきます。そのままにしておくと、深刻化して更に大きな病気になっ てしまう可能性もあります。
逆説的に言えば、(周囲の大人たちにとって)特に理由が思い当たらないのに、子どもに不眠が続いたり、子どもが不登 校気味になってしまったり、緘黙状態がみられるようになったりすれば、いじめによるストレスの可能性を疑ってみる必要があります。(また、いじめの有無に かかわらず、こういったメンタル面での不調がある場合は、家庭や学校の努力だけで解決しようとせずに、心療内科などで相談するとよい場合もあります。医師 やカウンセリングなどの助けを借りることによって、より早く解決の糸口を見つけることもできます。)

香山さんは「いじめは特殊なものではなくて、どこにでも誰にでも起きるものだと考えて」と、締めくくっています。いじめが普遍的なものになっては いけないことはいうまでもないことですし、撲滅できるに越したことはありません。誰もが、いじめのない社会の構築を目指して心がけをしていく必要がありま す。しかし、現実を見ると、いじめは、どこにでも誰にでも起こりえるのです。学校だけとは限りません。ですから、「いじめはどこにでも誰にでも起こりえる こと」という認識を受け入れて、自分自身の、そして大切な人たちの心身を守っていかなければなりません。

 

<いじめの「目撃者」は、いじめとは本当に無関係?>

これまで、「いじめに遭ったらどうすれば・・・・」という前提でのお話をさせていただいていました。次に、いじめの「目撃者」になってしまった場合についてのお話をさせていただきたいと思います。
いじめを目撃した場合、人によってとる行動は様々です。例えば、子どもの場合は、大人(先生や親など)に報告する、いじめっ子に勇気を出して注意をする、 友達同士で「あれっていじめだよね。先生に伝えたほうがいいよね」と相談し合う、いじめられている子に「大丈夫?」と声をかける、周囲が見て見ぬ振りをし ているので自分もつい周囲の行動に合わせて様子を見るだけにとどまる・・・・などの行動が多いかと思います。(中には、いじめをしている集団に同調して、 つい一緒にいじめをしてしまったなどという、ひどい話もあるほどです。)
筆者は、日本では、こういった様々な行動の中でも、「周囲の行動に合わ せて様子を見る」という子どもが、意外と多いのではないかと感じています。過日の大津の事件の場合、いじめの事実を先生に訴えた生徒が何人かいたとされて います。その後、聞き取りなどを続けていくうちに、それまで知られていなかったいろいろな目撃情報が次々と出てきていることを考えると、いじめの事実を知 りながらも、結果として、「動かなかった(動けなかった)」生徒も実は多かったのではないかと思えるのです。「何とかしなきゃいけない」と強く思いながら も、「周囲に動きかがないから、どう行動していいかわからなかった」、あるいは、「下手に事件に関わることによって、いじめっ子から逆恨みされたら怖いか ら、声に出せずにいた」というような人も同様です。

 

<「同調行動」による影響の大きさ>

こういった行動は、社会心理学の用語である「同調行動」で説明されることがよくあります。ここで少し、「同調行動」について、ご紹介をしたいと思 います。集団のなかでは、人は多数者(多数勢力)の行動や意見の影響を受けやすいといわれています。「同調行動」とは、判断や態度などを含む広い意味での 「行動」に関して、他者、あるいは集団が示している標準や期待にそって、それらに合わせるかたちで、同一あるいは類似の行動をとってしまうということで す。(それは、意識的である場合も、無意識的である場合もあるといわれています。)
この「同調行動」については、過去に数名(アッシュ、ドイッチ、チャルディーニなど)の研究者による実験が行われています。その中でもよく知られているのがアッシュの実験です。

  • 被験者(実験を受ける人)が単独の場合、「棒の長さが同じものを判定する問題」では、誰もが簡単に正解になった。
  • 被験者が数名(本当の被験者は一人だけで、他は全員がサクラで、被験者はサクラがいることを知らない)というグループを作り、先にサクラがそろって誤解答をしたら、被験者もその影響を受けて誤解答をしてしまい、正答率が著しく下がった。
  • この実験で、人には、「本心では別のことを考えていたとしても、大勢の人が賛成している事柄については、自分だけが反対意見を述べにくい」、「大勢の人に同調してしまう」という傾向があるということが結論づけられた。

いじめを目撃して「何とかしなければ」、「これはまずいのでは?」と心で思っても、他の多数がいじめに対して何も行動しなければ、自分も同調して 行動に移さず何もしないまま・・・になってしまうことは、理解できないことではありません。特に、「協調」や「周囲との和」を重んじる日本社会では、自分 だけが周囲と異なる行動に出ることを避ける傾向が強いと考えられます。更に、集団行動を重んじる日本の学校では、このような「同調行動」が涵養されやすい 土壌があるように思います。社会心理学研究では、精神的に未成熟な子どもに、この「集団心理」が生まれる傾向が強いといわれています。ですから、子どもの 集団である学校で、こういった状況が生じやすいということはよく理解できる話です。(ただ、様々な文化的背景を持つ子どもたちの集団である国際学校などの 場合は、集団からの影響は、日本の学校ほどではないと考えられます。)

話は戻りますが、いじめは、人の生死に関わる重要な問題と言っても過言ではありません。もし、いじめの「目撃者」になってしまったら、もう既に 「他人事」ではないのです。そして、周囲が何も行動に移していなかったとしても、周囲に合わせて静観するというのではなく、とにかく、何らかの行動に移す ことが必要とされます。1人で行動に移さなければならないというのではなく、何らかの行動(大人に伝えたり、友達に相談をして一緒に教師に話しに行ったり するなど)に移すだけでも、少しでも解決に近づくのです。(子どもが勇気を振り絞ってそういう行動を起こしても、肝心の大人がそれをスルーしたり、「それはいじめじゃない」と言って流すことなどはあってはなりません。)
家庭や学校でも、普段から、大人は「他のお友達はそう思うかもしれないけれど も、あなた自身の意見はどうなの?本当にそう思ってるの?」と、子どもに対して、自分で考え意見をしっかり述べさせる練習をさせることが大切です。自分で 考えて意見をきちんと述べることを学ぶことは、人のためだけではなく、将来、自分の身を守ることにもつながります。

 

香港日本人補習授業校スクールカウンセラー 合田美穂 (精神保健福祉士)

第7回 いじめの「周辺」について考える(上)

2012年8月4日

 

いじめの「周辺」について考える(上)

 

<最近のいじめ報道を受けて>

最近、日本のニュースでは、ほぼ毎日のように、いじめに関する報道がなされています。「こんなことがこんなに頻繁にあっていいのか」、「亡くなる 前に助けてあげられる人はいなかったのか」、「周りは誰も問題視しなかったのか」、「こんなに深刻になる前にどうして相談をしなかったのか」・・・など、 関係者だけではなく、このニュースを目にした多くの人たちの中では、様々な思いが交差していると思います。

 

最近のいくつものいじめに関する報道の中で、最も多くの人が注目している事件が、大津の中学校で起こったいじめの事件だと思います。この一件で は、いじめを行っていたとされる生徒だけではなく、学校側、教育委員会などの対応も厳しい批判を受けています。現段階では、詳細なことや、報道内容の真偽 がはっきり分からないので、多くのことを判断することができませんが、亡くなった生徒は、学校の先生にも自身がいじめられていることを訴えていた(また は、少なくとも学校の先生は、いじめがあったことを把握していた)といわれています。

過去には、子どもが、誰にも相談することなく、いじめを苦にして亡くなった後に、「相談してくれれば良かったのに」と、多くの人が無念に思い、悲 しんだ事件も少なくはありませんでした。そういう中で、この大津の事件では、被害者の生徒が事前に学校側にメッセージを発していた(または、少なくとも学 校側がいじめを把握していた)ということは、とても重要なことでした。しかしながら、どうして、それを生かすことができないまま、被害者の生徒が亡くなっ てしまったのでしょうか。この点について、私たちは真摯に考える必要があると思いました。

 

ここで、別の事件の話になりますが、大津のいじめ事件の報道の余韻が冷めやらぬ時に、似たような事件が報道されていたのを覚えている方も多いかと 思います。「集団暴行、中学生5人逮捕・補導=同級生の鼻骨折り、髪に火―大阪府警」と題した記事(時事通信、7月25日配信)がありました。その記事に よると、同級生を殴って鼻の骨を折ったり、髪に火を付けたりして集団で暴行したとして、傷害などの容疑で大阪府内の中学3年の15歳の少年3人が逮捕さ れ、暴力行為法違反の非行事実で中学2年の少年2人が補導されました。その発覚につながったのが、被害者の生徒の担任教諭による対応でした。当初、被害者 の生徒は、登校した際に不審に思った担任教諭に対して、顔の腫れを「こけた」と説明したそうですが、その後、担任教諭が1時間話を聞いて、ようやく「殴ら れた」と打ち明けたということでした。その後、警察の調べでは、被害者は中1のときから継続的にいじめを受け、毎月数千円を渡すなどしていたことがわかっ たそうです。

この記事だけで、詳細な状況や人間関係を把握するのには無理がありますが、少なくとも、この担任教諭が、被害者の生徒の様子に不信感を持たず、或 いは親身になって話を聞くことをせず、被害者の生徒の当初の説明を鵜呑みにしていたら、問題解決への展開には結びつかなかったと思います。おそらく、一連 のいじめは現在に至るまで発覚しないまま、継続していたかもしれませんし、大津の事件のような悲劇に発展していたかもしれません。

 

<ラポール(rapport)を築くことの大切さ>

上の話から、思い浮かんだのが「ラポール」という 言葉でした。「ラポール」とは、もともとは心理学の用語で、セラピスト(カウンセラー、心理士)と、クライアントの間に、信頼感や安心感があって、感情の 交流が行えるような関係が成立している状態のことを表します。心理療法の現場では、この「ラポール」を築くことが、セラピストの基本的態度であるとして重 視されています。セラピストとクライアントの間に「ラポール」が形成されると、両者の間において受容や共感が進み、信頼関係が構築されていくからです。

現在は、「ラポール」は、心理療法の場に限らず、「社会、教育機関、家庭などにおけるどのような人間関係においても必要とされるコミュニケーショ ンをはかるための信頼関係の土台である」とも言われるようになってきています。「ラポール」は、人々が互いに承認、信頼を得ることを必要とする関係の中 で、非常に重要とされているのです。ここで忘れてはならない重要なポイントが「互いに」という部分です。

 

大津および大阪の2つの事件では、ともに、被害者の生徒と、その担任教諭の間には、まったくコミュニケーションがなかったというわけではありませ んでした。前者と後者の相違は、「ラポール」という部分が欠如していたかどうかという点にあったと思います。前者の場合、担任教諭が、被害者の生徒が亡く なる6日前に、学校内でのいじめの報告を受けて、「大丈夫か」と確認したところ、被害者の生徒は「大丈夫」と答えたといい、担任は当事者同士を仲直りさ せ、生徒と加害者の保護者にも事実を伝えたといわれています。その裏に、生徒の見えないSOSのメッセージがあったのかもしれませんし、気づいてほしいと いう願いがあったかもしれません。両者には、本当の意味での「ラポール」が築けていない状態であったのではないかと思われるのです。

もちろん、いじめ事件については、教諭の対応だけが問題だったのではありません。(いじめの根本的な問題を考える際には、担任教諭だけに責任を押 しつけることは、してはならないことです。このケースでも、少なくとも、担任は声かけをしていたわけですし、完全にスルーしたわけではありませんでし た。)しかしながら、被害者の生徒と担任教諭の間に、相互の信頼の上での「ラポール」を築くことができていたなら、そして、担任教諭が子どものSOSの メッセージを感じることができていたら、もっと真摯に耳を傾けていたら、子どもの異変に気づいていたら、もっと早い段階のうちに、いじめが深刻化すること を防げたかもしれないと思えてなりません。

 

近年、政府や自治体などでは、いじめや非行の問題などに対応する形で、電話相談の窓口を設けていますし、自治体によっては学校にスクールカウンセ ラーなどを置いているところもあります。また、文部科学省は、この8月1日より、いじめ自殺など児童や生徒が事件・事故に巻き込まれた際の、対応に当たる 学校や教育委員会に助言などを行う「子ども安全対策支援室」を発足させました。このように、いじめによる深刻な問題を未然に防ぐために、また、起こった問 題に早急に対応するために、周囲が制度を整えて準備をすることは重要なことです。

しかしながら、それと同じように重要なことは、子どもと大人(担任教諭のみならず、家族や、子どもと関わりある大人たち)が、子どもとの間に「ラ ポール」を築いておくことだと思います。たとえ、上述のような相談できる環境が整っていたとしても、子どもは、自身が深刻ないじめにあった際に、すぐに 「電話相談」に電話するでしょうか。自ら積極的にスクールカウンセラーに会いに行くでしょうか。むしろ、ひとりで問題を抱え込んでしまって、即座にこのよ うな行動に移せない子どもも少なくないのではないかと思います。中には、いじめる側の報復を恐れてサインを出せない子ども、話せる相手がいないために声に 出せない子ども、いじめられているという自覚がないまま悩む子ども、ひきこもりになったりウツのような症状が出たりしてしまう子どももいるはずです。そう いう時こそ、周囲の大人の助けが必要となります。

 

一般的に、いじめといえば、「うちの子に限って」とか、「わたしは友達が多いから大丈夫」などと、大人にしても子どもにしても、他人事として考え てしまう場合も少なくはありません。しかし、こういった問題は、決して他人事ではなく、誰もが遭遇する可能性があります。(いじめられたことなんて全くな さそうに感じられる、誰もが知る人気芸能人も、最近、「アイドルとして活躍し始めた高校時代、それを面白く思わない地元の不良たちから殴られるなどのいじ めに遭った」と告白しています。)

子どもの周囲にいる大人たちは、子どもの様子や言動に普段と変わったことがないか、突然交友関係が変わったりしていないか、何か話したそうにして いるのではないかということに、常に気を配ることはもとより、普段から、子どものことを承認し、子どもと信頼関係を構築すること、そして、できるだけ家庭 と学校間にコミュニケーションが取れるような関係を作っておく必要があります。一般的には、いじめの問題が発覚したら、「犯人探し」のみに始終してしまう ところが往々にしてありますが、それと同時に(いや、それ以上に)大切なことは、普段から、子どもとの間に相互の承認、信頼に基づいた「ラポール」を築い ておくことなのです。それが問題解決の重要な糸口となるのです。

 

香港日本人補習授業校スクールカウンセラー 合田美穂 (精神保健福祉士)

第6回 子どもが不安を感じたときの対応

2012年5月12日

 

子どもが不安を感じたときの対応 : 「心を配り、寄り添うこと」がキー・ポイント

 

<震災報道などのショッキングな映像の子どもに対する影響>

東日本大震災から1年2ヶ月が過ぎました。震災からちょうど1年後の2012年3月11日前後には、多くのメディアが震災についての報道を行って いました。香港でも、NHKの国際放送などを通して、数多くの震災の特集を視聴することができました。時期を同じくして、日本の各新聞紙上では、子どもへ の震災の報道映像の影響について、論じられるようになっていたことにも気づかれた方も多いかと思います。

例えば、毎日新聞(2012年3月4日)では、「東日本大震災:報道映像、どう向き合う? 「見る」「見ない」子どもの意思で/心の回復に個人差」と題して、子どもが報道映像を見ることについて、専門家や専門機関の声も踏まえて論じられていました。
その中では、日本小児神経学会が、昨年の地震直後にホームページに掲載した緊急アピール「子どもに被害映像を見せない配慮を」を、2011年12月末から 再びページの冒頭に載せ、「子どもが映像を今起きていることと誤解したり、脳が許容以上の刺激を取りこんだりする恐れがある」と指摘していたことが紹介さ れていました。また、東日本大震災心理支援センターや日本子ども家庭総合研究所が、「子どものテレビ視聴時間帯に津波などの映像を流さないよう報道機関に 求めていた」ということなども併せて紹介されていました。

 

<子どもに心を配り、寄り添うことの大切さ> 

上述の毎日新聞の記事では、「大人が一方的に震災の報道映像を視聴させたりすることや、逆に、子どもに対する報道映像の制限をしないようにするこ とが大切」という、臨床心理学者で東京女子大学の前川あさ美教授の声も紹介されていました。「見せることがダメなの?見せないのがダメなの?どっちな の?」と一瞬、混乱してしまいそうですが、要は「子どもの意思を無視した大人の姿勢が、子どもを一層不安にさせる」ということでした。前川教授は「子ども が見ていたら『見たくなければ見なくていいんだよ』と話し、一緒に見て説明を加えたり、子どもの言葉に耳を傾けたりしてほしい。言葉に出すと子どもは安心 できることがあります」と説明しています。

記事では続けて、国立成育医療研究センター・心の診療部の奥山眞紀子部長の「自殺報道の後追いに未成年が多いように、子どもは大人より映像の影響 を強く受けやすい」、「子どもは嫌でも見続けてしまうことがあるので、1人で没頭するように見ていたら声をかけて」、「見て心がざわついたら止めた方がい い」との声も紹介していました。
前川教授と奥山部長のアドバイスを総合すると、「大人が子どもに寄り添うことの大切さ」がキー・ポイントになっ ていることが分かります。震災の映像を見せることの是非を議論することも大切ですが、まずは、子どもが映像を視聴した際に、大人が子どもの状態に心を配 り、映像を見たことによる不安はないかどうか、通常との違いがないかどうかを確認することや、映像を視聴している際のケア(声掛けなど)が、更に重要に なってくるのです。

 

<ショックや怖い体験があったら> 

「こういった話題は、震災直後にタイミングよく提供してほしかった」と言われるかもしれません(すみません)。今回は、実感しやすい例として震災 報道をあげましたが、こういったことは、実は震災報道に限ったことではありません。恐竜が出てきて人が襲われるといった恐怖映画の影響や、実際に大きな犬 に追いかけられたとか、事故現場を目撃してしまったとかなどの恐怖体験についても同様です。

子どもを観察し、その後、不安がないかどうか、通常との違いがないかどうかという確認をすることはもとより、子どもの声に真摯に耳を傾けて、少し でも安心できる言葉掛けをしてあげることによって、子どもの恐怖体験は和らぎます。(ショックやストレスが甚大な場合は、心配りや声掛けだけで解決できる というものではありません。明らかに通常とは異なる状態が子どもに顕著に見られたら、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の発症を心配する必要がありま す。その場合は、早急に専門医を受診したり、専門家に相談したりしなければなりません。)
子どもの恐怖体験を和らげるものとしては、心配り、声掛け以外にも、子どもが好きなものや、落ち着けるものに触れることがあげられます。後者についての詳細は以下にご紹介したいと思います。

 

<子どもが好きなもの、落ち着けるものを把握しておく>

震災の後、複数のメディアが、とある書店に関する心温まる記事を配信していました。震災から1年経過しても、この話を取り上げていたメディアもあるほどですので、ご存知の方も多いかと思います。

「1冊の『少年ジャンプ』を100人の子どもが立ち読みした」という話です。震災後しばらく、雑誌の配送が止まっていた仙台市内の書店に、「山形 まで出向いて購入してきたという一冊の『少年ジャンプ』」がお客さんによって届けられました。店主が「ジャンプ読めます」と店の外に張り紙をすると、その 話は口コミなどでお母さんや子どもたちの間に広がり、どんどん子どもたちが読みに来るようになったのです。そして、その『ジャンプ』は、紙が擦り切れるほ ど、多くの子どもたちによって読まれたとのことでした。
店主は「マンガを読んだ子どもたちが笑ってくれて、店を開いてよかったと思った」とコメ ントしていましたが、震災で恐怖体験をした子ども、いつ余震が来るかわからず不安でいっぱいの子ども、周りの空気が重々しくてそのストレスを感じている子 ども・・・・そういった子どもたちが、「いつも楽しみに読んでいる大好きなマンガ」に触れることで、少しずつ笑顔を取り戻していったという話です。
子どもが好きなもの、落ち着けるものは、マンガのような「モノ」だけに限定されているわけではありません。浜松医科大学・児童青年期精神医学講座の杉山登 志郎特任教授は、著書の中で、EMDR治療とよばれる、トラウマ処理の技法を用いた治療(心の傷への治療)について紹介し、「トラウマを扱うときには、ま ず安全な場所のイメージを作ることが必須になる」と述べています。(その療法では、それ以外のことも同時に行うのですが、その詳細については本題からそれ るために、ここでは割愛します。)
杉山教授が担当した中に、「祖母とコタツに入っている情景」を安全な場所として述べた人がいました。忙しい両 親に代わって常に接してくれた大好きな祖母と共有する時間こそが、その人にとっての安全な場所そのものだったのでしょう。人によっては、それが毎週楽しみ にしている家族とのサイクリングの時間であったり、定期的に開催される友達とのBBQパーティーだったりするかもしれませんし、たくさんのおもちゃやぬい ぐるみを使って、お人形ごっこをすることかもしれません。プラレールで高架を作ることかもしれません。こういった場面や時間を持つことも、心の傷を癒す1 つの方法となります。
ストレスや恐怖体験の度合いによっても受ける影響は異なりますし、同じ体験をしても個人差も出てきますので、どの子どもに も同じような効果があるとは言えません。しかし、「周囲の大人からの言葉掛けや、好きなモノや居心地のいい場面が、それらのストレスを緩和させることにつ ながるということを認識すること」、そして、「こういった子どもにとっての安全感、安心感を得られるモノや場面を理解し、いつでもそれらを確保できるよう にしておくこと」はとても重要なことです。そのように考えると、繰り返しになりますが、やはり「心を配り、寄り添うこと」がキー・ポイントとなってくるの です。

 

香港日本人補習授業校スクールカウンセラー 合田美穂 (精神保健福祉士)

第5回 子どものやる気と動機づけ

2012年2月15日

 

《子どもの時間の使い方》

前回、こちらのコラムに子供のやる気を引き出すことについて書かせていただいてから、早くも半年が過ぎました。あっという間です。最近、年配の方が「年齢を 重ねれば重ねるほど、時間が経つのも早く感じるようになるわよ」とおっしゃっていたばかりでしたが、確かにそう言えます。逆説的に考えると、子どもにとっ ては時間が過ぎるのはそんなに早くないものです。子どもによっては1日 の時間が過ぎるのがあまりにゆっくりで、「早く時間が過ぎて、いろんなことが自由にできる大人に早くなりたい!」と願っている子もいるかもしれません。そ のような「子どもがもてあます時間」をどうやって使うかということで悩んでおられる親御さんも多いかと思います。時間の使い方にはいろいろありますが、子 どもの自由な時間、遊ぶ時間、何もせずにボーっとする時間なども保障してあげる必要があります。その一方で、やるべきこと(宿題、決められたお手伝いな ど)はきちんとする。この両者のメリハリさえできていれば、少々無駄な「もてあます時間」があっても大丈夫です。

 

《子どもをやる気にさせるポイント》

「やるべきことが、なかなかできないんですよね」という声も多く聞かれます。子どもをやる気にさせるポイントとして、「ほめること」、「期待をこめること」に ついて、過去のコラムではお話をさせていただきましたが、ほかにも専門家が提言しているポイントがありますので、今回、ご紹介をさせていただきたいと思い ます。

先日、「子供の勉強 やる気を引き出すには 心に寄り添い「安心感」」(産経新聞、1 月19日)という興味深い記事がありました。その記事では、東京理科大学の吉田たかよし客員教授の著書である『子供がヤル気を出す家庭の秘密』(角川 oneテーマ)が紹介され、以下のようなポイントがまとめられていました。前回のコラムのお話とも重なりますが、そこにも、まず大切なことは、子どもをよ く観察して、「良いことをしたら褒める」、「悪いことをしたら叱る」が基本である、と書かれてありました。そこでは、吉田教授は「親が子供を褒める効果は 絶大で、『守られている』という安心感につながり、やる気になる」と強調しています。

さらに、その記事では、中学受験の個別指導教室「SS-1」の小川大介代表も同様に、長所をほめてやる気を出させることの大切さを強調していました。記事の 中で、小川代表は特に、父親が積極的に教育に関わることを勧めており、「本人も母親も気づいていない子どもの長所を、父親ができるだけたくさん見つけて言 葉にすれば、やる気を引き出せる。物理的にも心理的にも一定の距離が生じる父親だからこそできる」と述べています。
前述の吉田教授による、次の効果的なポイントは、「勉強する際には、ジョギングなどの有酸素運動をすること」だそうです。特に、勉強の前に体を動かすの がより有効だそうです。小学生にとっては、朝の勉強は難しいかもしれませんが、大学受験などを控える年齢になったら、早朝の時間を活用するのは効果的だと 思います。吉田教授自身もそういう朝の勉強方法を過去に試したことがあり、「集中力が高まるし、一日のリズムが正しくなり睡眠の質も高まる」と話していま す。

 

《ニート・ひきこもり傾向にある人達の「動機づけ」(どのようなときにやる気を持つことができるか)に着目した研究》

次にご紹介したいのは、京都大学・こころの未来研究センターの 内田由紀子准教授の研究グループが実施した「ニート・ひきこもり傾向にある人達の「動機づけ」(どのようなときにやる気を持つことができるか)に着目した 研究」 です。ニート・ひきこもり傾向にある人たち、といえば、社会人を連想しがちですが、この研究結果は、子育ての中でも、参考にしてみる価値があると 思えるのでご紹介することにしました。

研究グループが実施した研究には、「動機づけの実験」がありました。研究グループは、まず、北米と日本の学生に対して実施されたハイネらによる2001 年の比較文化の先行研究を参考にしました。そのハイネの研究とは、北米の学生は(自己の長所を重要視しているため)、ある課題に対して好成績であったと伝 えられた後には、同様の課題を継続して行う傾向があったそうです。その一方で、成績が芳しくなかったことが伝えられると、「自分にとって大切な課題ではな かった」と考え、課題への持続性が下がってしまったそうです。これは上述の「自信がつけばやる気になる」という考えにもつながる結果です。さらに興味深い のは、これに対しての日本の学生の反応でした。日本の学生は、失敗したときにこそ、「もっと頑張らなければ」という動機が高まり、類似課題に自発的かつ持 続的に取り組んでいたそうなのです。それぞれの社会背景の違いが反映されていることが興味深いですね。このハイネの研究結果を援用して、京大の研究グルー プは以下の実験を実施しました。

研究グループは、まず大学生を、ニート・ひきこもりになるリ スクの高いグループ「高リスク群」と、ニート・ひきこもりになるリスクが低いグループ「低リスク群」という二つのグループに分けました。そして、それぞれ のグループに対して、ハイネが実施したのと同じ課題をまず行ってもらってから、成績のフィードバックを行いました。その後、研究グループが、その実験への 参加者である学生が、どのぐらい自発的に同じ課題に取り組むかを検証したところ、ひきこもりになるリスクが低い「低リスク群」の学生は、成功したときより も失敗のした時の方が、類似課題を継続的に行っており、動機づけが高まっていたそうです。彼らは、失敗に対して「もっと頑張らねば」という気持ちを強く持 つことによって、課題への取り組みに対する動機を高めたと言えます。

しかし、その逆に、ひきこもりになるリスクが高い「高リスク 群」の学生は、成功した時よりも、失敗した時に、課題を継続する動機づけが低くなっていたそうです。つまりニート・ひきこもりのリスクの高い傾向にある 人々は、失敗の後に努力することをやめ、あきらめてしまう傾向があるといえる ようです。研究グループは、ニート・ひきこもりになるリスクが高い学生の背 景には「努力しても無駄だ」というような、適応力に対する自信のなさなどが見られるとしています。

 

《子どもへのかかわりでの応用》

ここでは、子どもが、ニート・ひきこもりになるリスクが高いか どうかということを論じているのではありません。また、「うちの子は、失敗したときにやる気をみせるタイプだから、ひきこもりにならないタイプでよかった わ」と考えるのも短絡的ですし、「うちの子は、失敗したらすぐにあきらめるタイプだから、すでにニート予備軍かも」と過剰に不安になる必要もありません。 上述の研究では、北米と日本とでは傾向が異なると言っていますし、地域や背景、また時代によっても、結果は変わってくるそうです。(実際に、今回、京大の グループが調査をした学生は、10年前の学生に比べて「全体的に」課題 への取り組み時間が減少していたそうです。この差は統計的に意味のあるもので、現在の学生は失敗した場合にも成功した場合にも、いずれにしても一生懸命課 題に取り組むという傾向が減退していたというのです。時代が変われば傾向も変わるわけです。)

何度も子どもに宿題や課題をさせている中で、子どもが「失敗し たときにやる気を見せるタイプ」であるか、「失敗したらあきらめるタイプ」であるか、それらのどちらかの傾向があるかは、ある程度わかってくると思いま す。周囲の大人は、子どものそういった傾向をできるだけ早い段階で把握しておき、子どもが前者(失敗したときにやる気を見せるタイプ)の場合は、「もっと 練習したらできるようになるよ」、「今度は同じ失敗をしないように注意してみようか」と、失敗を成功につなげていくような言葉かけを積極的にして、子ども のやる気を伸ばすのも方法でしょう。

子どもが後者(失敗したらあきらめるタイプ)の傾向がある場合は、「ほら、また失敗しちゃって」、「何度も同じミスを繰り返さないでよ」などと言って自信を 喪失させたり、「自分はやっぱりダメなんだ」と思わせたりするようなことは言ったりしないように、注意を払うことです。そして、意識的に、「計算ミスは多 いけど、漢字だったらすごく上手に書けるよね。漢字のようにできるようになればいいね」とか、「その分、漢字で頑張ってカバーしようか」などと、できる部 分に着目して励まして、自信につなげていくことが大切です。

 

 

香港日本人補習授業校スクールカウンセラー 合田美穂 (精神保健福祉士)

第4回 「期待」と「ピグマリオン効果」

2011年8月18日

 

プラスの効果を「期待」すること≫

前回は、「ほめること」についてお話をさせてもらいました。「ほめることって簡単なようで、 実はとても難しいことかもしれない。“言うは易し、行うは難し”だわ」と語るAさんによると、少しでもほめるに値することを見つけては、お子さんをほめる ことができるようになったそうですが、ご主人やフィリピン人のお手伝いさんに対しては、これまであまり感謝の言葉を表していなかったことや、いきなりほめ るのも気恥ずかしい気がして、今でも全然ほめることができないでいるそうです。Aさんは「普段からほめたこともない身近な大人をほめるっていうのは、案外 難しいかもしれないわね」とも話されていました。前回のコラムでほめることの大切さを説いた筆者も、実は、遅刻や課題の未提出が続く学生さんには、ほめる ことよりも、注意をすることを最優先にしてしまったり、子育てにおいても、悪い面に気を取られて、ほめることがついおろそかになっていたりすることもあっ て、時にハッとすることがあります。

実際にも、「子どもが調子に乗って努力しなくなるかもしれないと思ったら、ほめてばかりになれな い」、「もともとほめ上手ではないので、ほめることを心掛けても、なんだか口先だけになってるような気がする」、「ほめるようになっても、子どもは以前と あまり変わっていないように感じる」、「ほめすぎると、おだててるようで、不自然に感じることもある」などと話す子育て中の親御さんや、「いたずらばかり で、ほめることよりも叱ることのほうが多くなってしまう児童がどうしてもいる」、「この子はイタズラが多くて問題児だということを入学前から聞かされてい たので、ついそういう視点で見てしまう」、「あまりにほめすぎると学生に媚びていると受け取られかねない」いう教育現場の方の声も意外とあるようです。

「な かなかうまくほめられない」、「ほめ上手になれない」。確かに場合によっては、そういうことだってあります。前回は、ほめることのプラスの効果をお伝えし ましたが、ほめること以外の方法でも、プラスの効果を期待して、心掛けをすることができます。「プラスの効果を信じて期待をすること」そのものに、実は大 きなプラスの効果が隠されているのです。ということで、今回は、ほめることの延長線上のお話として、「期待」することと、その効果(「ピグマリオン効 果」)について、お話させていただければと思います。

 

≪「期待」と「ピグマリオン効果」≫

1963 年、アメリカの教育心理学者のローゼンタールとフォードが、興味深い研究を行いました。それはネズミを使った心理学の実験で、学生たちに2つのグループの ネズミを手渡して、一方を「よく訓練されたネズミ」、もう一方を「のろまなネズミ」というふうに伝え、迷路の実験をさせたのです。その結果、前者のネズミ のグループのほうが、結果が良かったということでした。実際には、前者のネズミに対しては、特別な訓練をしたわけではなく、後者のネズミとは大きな差がな かったそうです。ローゼンタールは、この結果に対して、「学生たちは、前者のネズミが利口なネズミだと信じていたので、結果が良くなることを期待して、丁 寧に扱ったから、このような結果となった」と考えました。そして、この「期待度」による効果に興味を持ったローゼンタールは、翌年、人間(教師と児童の 間)にも似たような実験を実施したのです。

翌年、教育現場(小学校)の児童に対して、あるテストを実施しました。実は、そのテストは特 別な意味があるテストではありませんでした。その際に、学級担任に対しては、「今後数ヶ月間に、成績が伸びる可能性がある児童を見つけるためのテストであ る」と説明しました。更に、テストの結果とは関係なく、無作為に選んだ児童の名簿を学級担任に見せて、「この名簿にある子どもたちが、今後数ヶ月で成績が 伸びる可能性がある子どもたちである」と伝えたのです。数ヵ月後、その名簿にあった子どもたちの成績は、確実に向上したそうです。ローゼンタールは、この 結果を踏まえて、「学級担任が、名簿にあった子どもたちに対して、期待を込めた態度で丁寧に指導したことや、子どもたちもその期待を意識して成績が向上し たのだ」と分析しました。

この効果は、ギリシャ神話の登場人物のピグマリオン王にちなんで「ピグマリオン効果」と名づ けられました。(「教師期待効果」あるいは「ローゼンタール効果」とも呼ばれています。)一方、教師が子どもに対して、「この児童は期待できない」という 意識によって、期待をかけないような指導をしたり、まったく期待をしていないといった態度をとったり、問題児だと思いながら接したりすることによって、結 果的に子どもの成績が下がるという事例も報告されており、それは「ゴーレム効果」と呼ばれています。

少し話はそれますが、労働の場では「ホーソン効果」と呼ばれているものがあります。シカゴ近 郊のホーソン工場で、「工場内の照明の変化が作業効率に与える影響」として実施された実験がありました。この実験では、照明を明るくしても暗くしても、作 業効率は上昇するという結果が出ました。作業効率が向上した原因は、「工場の幹部が注目している実験である」ということを作業員に知らせた上での実験だっ たため、作業者の「幹部から注目されている」「実験結果が期待されている」という意識が生産性を高めたと、結論付けられました。「注目されている」、「一 目を置かれている」、「期待されている」ということがプラスの効果につながる点では、「ピグマリオン効果」と類似するところがあると思います。

 

期待にも「適度」が必要≫

「この子はやればできる子なんだ」、「この子はいいものを持っている」、「ドジなことが目立 つけれども、頭の回転が速くて計算が得意だからそれをいつも評価してあげよう」という姿勢で子どもに接する。こういった姿勢が子どもに伝わり、子どもの自 尊心が高まったり、子どもが「自分には何かができる能力があるんだ」、「先生は自分をかってくれている」、「私がピアノが上手なことをお母さんは喜んでく れている」と感じるようになって自己効力感が高まったりすると考えられるのです。ただ、この「ピグマリオン効果」や上述の「ホーソン効果」の信憑性につい ては、一部の専門家からは批判的な意見も出ていますので、この考え方だけを妄信することは避けるべきかと思いますが、親御さんや指導者の心構え程度とし て、「こういう考え方もある」と参考にするには値すると思います。

もちろん、期待にも「適度」は必要です。あまりにも期待をし過ぎたり、期待するあまりに過度 なノルマを与えたりすることによって、子どもがプレッシャーを感じることになったり、子どもが期待通りにならないからといって親が自分を責めたりすること や、「見返り」を期待し、期待はずれが失望を招く結果になってしまえば本末転倒です。また、「Bちゃんよりできてすごいわね」、「あなたはクラスで一番に なれる子よ」などと、周囲と比較する表現を使うと、子どもは周囲と比較することでしか自分の能力を確認できないようになってしまいます。また、「言わなく ても感じてくれるだろう」、「以心伝心」として、期待を心に秘めているだけでは、この思いや期待がきちんと子どもに伝わりません。「あなたにはあなただけ の素晴らしさがあるから、それに期待しているのよ」、「先生はちゃんとあなたの良さを見て、注目してますよ」、「あなたなら、きっとできると思って応援し ているわよ」ということをきちんと態度や言葉で表現して、その気持ちを持ちながら、「見返り」を求めずに、子どもに「接する」ということがとても大切だと 思います。

香港日本人補習授業校スクールカウンセラー 合田美穂 (精神保健福祉士)